東京地方裁判所 昭和44年(ワ)3956号 判決 1972年4月26日
原告 下山良治
被告 国
訴訟代理人 今井文雄 外三名
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は、「被告は原告に対し足利市伊勢町三六三七番の六宅地一四四二・四一平方メートルにつき宇都宮地方法務局足利支局昭和四三年一一月一六日受付第一四七八七号をもつてなされた昭和四三年一一月一五日付収用を原因とする所有権移転登記の抹消登記手続をせよ。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、請求原因として次のとおり述べた。
足利市伊勢町三六三七番の六宅地一四四二・四一平方メートルは、もと、原告が昭和四二年三月三一日訴外佐藤商事株式会社から買い受けて所有していた同所三六三七番の一宅地三一一七・三八平方メートルの一部であつたところ、被告は、起業者建設大臣の一級河川利根川水系渡良瀬川上流改修伊勢築堤等工事につき栃木県収用委員会が昭和四三年一〇月五日付でなした「足利市伊勢町三六三七番の一宅地公簿上三一一七・三八平方メートルのうち実測一四四二・四一平方メートルを昭和四三年一一月一五日に収用する」旨の裁決に基づき、右三六三七番の一より三六三七番の六を分筆したうえ、請求の趣旨記載のとおりの所有権移転登記を経由した。
しかし、右裁決は、収用すべき土地の特定を欠く点において重大・明白な瑕疵のある違法なものである。すなわち、右裁決は、一筆の土地の一部分を収用するものであるのにかかわらず、収用すべき土地の面積を表示するにとどまり、裁決書添付の収用区域表示図には測量の基点すら表示されていないばかりでなく、右三六三七番の一と隣地との境界についてかねて所有者間に争いがあることは右収用委員会の知るところであつたのに、右境界線すら明示されていない。
よつて、右裁決は当然に無効であり、右三六三七番の六の土地は依然原告の所有に属し、前記所有権移転登記は真実の権利関係に合致しないものであるから、被告に対しその抹消登記手続を求める。
被告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、次のとおり答弁した。
原告主張の請求原因事実は、本件土地収用裁決が違法であるとの点を除き、すべて認める。
本件収用の対象とされた足利市伊勢町三六三七番の六は、別紙図面ハ・ニ・ホ・ヘ・ト・チ・X6・d・ハの各点を順次結ぶ線で囲まれた区域であり、次のように特定されていた。すなわち
起業者建設大臣が築堤工事のため必要としたのは別紙図面X1・X2・X3・X4・X5・X6・カ・ヨ・タ・X7の各点を結ぶ築堤線より北側の土地(本件土地およびその隣接地の関係では、イ・X2・X3・X4・X5・X6・カ・ヨ・タ・レ・ソ・ツ・ネ・ナ・ラ・イの各点を順次結ぶ線で囲まれた区域)であつたが、訴外有限会社栃木ハウスおよび金谷浜子がa・ハ・ニ・ホ・ヘ・ト・チ・リ・ヌ・ル・ヲ・ワ・カ・c・b・aの各点を順次結ぶ線で囲まれた区域に建物等を築造・使用しており、河道修正のために右建物等を除却する必要があつたので、結局、イ・X2・ロ・ハ・ニ・ホ・ヘ・ト・チ・リ・ヌ・ル・ヲ・ワ・カ・ヨ・タ・レ・ソ・ツ・ネ・ナ・ラ・イの各点を順次結ぶ線で囲まれる区域を収用することとなつた。ところで、右収用予定地付近は、三六三七番の一が当時佐藤商事株式会社の所有であつたほかは、全部国有地であつたので、起業者より右国有地の所管庁たる栃木県知事に境界確認を依頼したところ、同県農地開拓課の所部職員が昭和四一年六月一一日収用予定地付近の各土地の所有者ないし旧所有者の立会のもとに調査をとげた結果、三六三七番の一の隣地(国有地)との境界は、三六五三番の四と接する側においてはロ・ハ・dを結ぶ線であり、三六三七番の五および三六三七番の四と接する側においてはd・X6・チを結ぶ線であることが明らかとなつた。そして、右調査の結果を明確ならしめるため、イ・ロ・チ・ル・レ・ソ・ネ・ナ・ラ・dの各点に境界杭を、g・f・ヲ・タ・ツ・eの各点に測量杭をそれぞれ設置した(イ・ラ・ナ・ネを結ぶ線は足利市道と伊勢町堤防との境界で、現地で判然としており、また、X1・X3・X4・X5・X6・ヨ・X7を結ぶ築堤線上のX2を除く各点には、既に境界杭が設置されていた。)
その後原告が三六三七番の一の土地を取得するに至つたので、起業者は、昭和四二年八月八日原告に立会を求めて右土地の境界を調査したところ、原告は、a・ハ・ニ・ホ・ヘ・h・i・ワ・カ・c・b・aの各点を結ぶ線で囲まれる区域が自己所有地である旨主張した。当時、ニ・ホ・h・iの各点には原告の設置した境界標があり、b・cを結ぶ線上には有刺鉄線が設置されており、また、ト・チ・リ・ヌ・ル・ヲ・ワの各点を結ぶ線上には生子板塀が設置されていた(a点はc・bを結ぶ延長線とニ・ホを結ぶ延長線との交差点、ヘ点は、ホ・hを結ぶ延長線とチ・トを結ぶ延長線との交差点であつて、いずれも現地で特定しうる地点である)。
起業者は、昭和四三年二月二一日土地収用法三五条に基づき現地に立ち入つて叙上の各地点をすべて測量した土地実測図を作成し(測量の起点は渡良瀬川左岸田中橋上流側親柱前面中央部である。)、ついで同月二八日、同年三月一日の両日原告と有限会社栃木ハウスを除く土地所有者・関係人(前記国有地は自作農創設特別措置法による買収土地であつたので、同法八〇条の規定により、三六五三番の四は訴外新居章三外五名に、三六三七番の四および三六三七番の五は合資会社三隆商会にそれぞれ売払いがされていた。)の立会を得て右土地実測図を添付した土地調書を作成したうえ、同年六月一一日栃木県収用委員会に本件収用裁決の申請をした。そこで、同収用委員会は、同年七月二五日現地で審理を行ない、その際原告その他の土地所有者・関係人に対し右土地実測図に基づいて前記の各地点を特定・指示したうえ、三六三七番の一の一部であることに争いのない区域(別紙図面ハ・ニ・ホ・ヘ・ト・チ・X6・d・ハの各点を結ぶ線で囲まれる区域)を原告の所有に属するものとして収用したのである。
以上の経緯から明らかなように、本件収用の対象たる土地は特定されていたのであるから、本件裁決には原告主張のような瑕疵はなく、原告の本訴請求は失当である。
原告訴訟代理人は、被告の右陳述に対し、「栃木県農地開拓課所部職員が被告主張のような土地境界調査をしたことは知らないが、右調査の結果三六三七番の一の隣地との境界が被告主張のように判明したとの事実、および、右調査の際被告主張の境界杭・測量杭が設置され、被告主張のような境界杭が存在していたことは否認する。昭和四二年八月頃の調査の際、原告が右土地の範囲を別紙図面ハ・ニ・ホ・ヘ・ト・チ・X6・d・ハを結ぶ線で囲まれる区域であると述べたこと、その境界を示す境界標および有刺鉄線が設置されていたことは認めるが、被告主張のような生子板塀があつたこと、別紙図面b・c・ワ・ル・ヌ・リ・チ・ト・a・ヘの各点が現地で特定しうる状態にあつたことは否認する。起業者が被告主張のような立入調査をし、土地実測図・土地調書を作成したことは知らない。」と述べた。
証拠<省略>
理由
一級河川利根川水系渡良瀬川上流改修伊勢築堤等工事の起業者建設大臣の申請に基づき、栃木県収用委員会が昭和四三年一〇月五日付で原告所有にかかる足利市伊勢町三六三七番の一宅地三一一七・三八平方メートルの一部一四四二・四一平方メートルを収用する旨の裁決をしたこと、そして、右裁決(以下「本件裁決」という。)に基づき、右三六三七番の一から同番の六宅地一四四二・四一平方メートルが分筆され、収用による被告への所有権移転登記が経由されたことは、当事者間に争いがない。
原告は、本件裁決は収用する土地の範囲を特定していない点において違法・無効であると主張する。
よつて案ずるに、成立に争いのない甲第一号証によれば、本件裁決の裁決書には、三六三七番の一の土地のうち収用する部分(「三六三七番の一」として収用する部分のほかに、「三六三七番の一又は三六五三番の四」、「三六三七番の一又は三六三七番の五」、「三六三七番の一又は三六三七番の四」として収用する部分の記載がある。)の面積が記載され、その区域を表示する図面が添付されているが、同図面には縮尺の割合が表示されているのみで、方位、距離、角度、測量の基点等が全く記載されていないから、右裁決書のみをもつてしては「三六三七番の一」として収容する区域が現地のどの場所に位置するかを確定することは不可能であるといわざるをえない。
しかしながら、土地の収用は、それによつて所有権移転の効果を生ぜしめるものであるから、一筆の土地の一部分を収用する場合においては、収用する区域が客観的に特定されていなければならないことはいうまでもないけれども、収用の裁決は、もともと、争いのある土地の境界について公権的な裁断を下すことを目的とするものではないし、収用する土地の状況については、起業者において事前に詳細な調査をとげ、所定の事項を具備した土地調書を作成することが義務づけられており、同調書を添付してなされる裁決申請に基づいて裁決手続が行なわれるのであるから、収用する土地の範囲が裁決書のみによつて完全に表示されていることは必らずしも必要ではなく、裁決申請書およびその添付書類(これらは、公衆の縦覧に供される。)とあいまつて収用する区域を客観的に特定することができ、その具体的な範囲について関係当事者に疑いを生ずる余地がない程度に明らかとなつているときは、その裁決には違法はないと解するのが相当である。
そこで、本件裁決に至るまでの経緯について検討するに、いずれも成立(乙第七号証の一、二、第八号証の一ないし三、第九号証の一ないし四については、原本の存在も含め)に争いのない乙第一ないし第三号証、同第四号証の一ないし四、同第六号証の一、二、同第七号証の一、二、同第八号証の一ないし三、同第九号証の一ないし四、甲第一号証、証人斎藤忠、原沢八郎、河原源、の各証言、検証の結果、原告本人尋問の結果(ただし、後記認定に反する部分は措信しない。)に弁論の全趣旨を総合すれば、次の各事実を認めることができ、これに反する証拠は存しない。すなわち
原告は、昭和三五年一月頃訴外合資会社三隆商事から本件三六三七番の一の土地を買い受け、これを自己の経営する会社に貸与し、同会社が同地上に工場建物等を築造・所有していたが、その後、右土地は競売により訴外佐藤商事株式会社の所有するところとなつた。
昭和四一年頃、建設省(関東地方建設局渡良瀬川工事事務所)において渡良瀬川上流改修工事の一環として足利市伊勢町内の築堤工事およびこれに伴う市道の付替工事を計画し、本件三六三七番の一の一部分を含む付近の土地を堤防敷地として取得する必要を生じたが、右買収予定地の多くは、終戦後農地改革の際買収された国有地であつたところ、昭和二三年秋の洪水により付近の地物が洗い流されたまま放置されていたため、各土地の境界を容易に判別し難い状況となつていた。そこで、昭和四一年六月頃、前記国有地の管理にあたつていた栃木県農務部農地開拓課の職員が、建設省の依頼により、買収予定地内の各土地の現所有者または旧所有者の立会を求めて、境界の調査をしたが、各境界について確言しうる者はなく、結局、建設省があらかじめ作成して保管していた実測図(乙第一号証の原図にあたるもの)に基づき現地を測量し直すことにより各土地の境界を定めるより方法がないとの結論に達し、立会人一同もこれを了承した。そして、右の測量の結果(実測図・乙第一号証が作成され、境界杭が設置された。)によれば、本件三六三七番の一は、北側において別紙図面ハ・dを結ぶ線で三六五三番の四と、東側においてd・X6を結ぶ線で三六三七番の五と、X6・チを結ぶ線で三六三七番の四と、それぞれ境を接する(その結果、前記の工場建物等は、一部分が右各隣地にはみ出すこととなる。)とされた。これに対し、昭和四二年三月頃本件三六三七番の一を前記佐藤商事株式会社から買い戻した原告は、右土地の範囲を別紙図面a・ハ・ニ・ホ・ヘ・h・i・ワ・カ・c・b・aの各点を結ぶ線で囲まれる区域(前記工場建物等の敷地および付属地として当時訴外有限会社栃木ハウスが占有・使用していた区域に相当する。)である旨主張して再調査を申し入れたため、昭和四二年八月頃(同じ頃、本件収用の前提たる事業認定の告示があり、ついで土地細目の公告がなされている。)、前記渡良瀬川工事事務所の職員等によつて調査が行なわれたが、調整はつかず、原告の主張を現地について確認するにとどまつた。他方、本件三六三七番の一と隣接する前記各土地は自作農創設特別措置法により国が買収した土地であつたので、収用を前提として、農地法八〇条の規定により、三六五三番の四は訴外新居章三外五名に、三六三七番の四および三六三七番の五は合資会社三隆商会に、それぞれ売払いがされたのであるが、これらの者は、いずれも、右各土地と本件三六三七番の一との境界は建設省保管の実測図に基づき前記のごとく判定されたとおりである旨主張して譲らず、そのため、建設省において以上各土地を所有者との任意協議により取得することが不可能となつた。
そこで、本件起業者建設大臣は、昭和四三年二月二一日から土地収用法三五条による立入調査を実施して土地調書および実測図(乙第二号証)を作成したうえ、栃木県収用委員会に裁決の申請をするに至つたのであるが、収用の目的地のうち、原告所有の三六三七番の一の一部であることが原告と隣接地所有者との間で争いのない部分、および、同番の一部であるとする原告と隣接地帯の一部であるとするそれぞれの地番の土地所有者との所有権の主張が競合する部分は、原告を含む各関係者の指示を基にして、右実測図上それぞれ特定して表示されていた(乙第二号証は、渡良瀬川左岸田中橋上流側親柱前面中央部を起点として作成された乙第三号証の実測図に合致すると認められるばかりでなく、原告が境界標識を設置した場所であることに争いのないニ・ホ・hの地点に境界石等の標識が存在し、右各点がそれぞれ右乙第二号証の図面上にも測点として表示されているので、同証自体としても、これに基づき現地を特定するうえに欠けるところはない。)。そして、栃木県収用委員会は、同年七月二五日現地において、原告はじめ各土地所有者および関係人の出席のもとに、収用すべき土地の区域と各所有者の権利主張の範囲を右実測図を基礎として実地につき確認したうえで、審理を重ね、前記のとおり、原告所有にかかる三六三七番の一の一部であることに関係者間で争いのない一四四二・四一平方メートルを「三六三七番の一」とし、隣接する係争部分をそれぞれ「三六三七番の一又は三六五三番の四」、「三六三七番の一又は三六三七番の五」、「三六三七番の一又は三六三七番の四」として、本件の裁決をした。そして、叙上の手続の過程においても、原告は境界に関する従来の主張を変えず、土地調書の作成にあたつても、正式の立会や調書への署名押印は拒否したが、実測の場所に出て来て自己の主張する境界線を指示し、収用委員会の現地審理においても、前記のとおり土地調書に基づく実地の確認に応じており、その後の審理や和解の段階でも、弁護士とともに、損失補償額の問題のほかは、もつぱら係争地域の所有権の帰属に関する自己の見解を強調することに終始した。
以上のような事実関係が認められるところ、右認定の経緯に照らせば、本件裁決において、三六三七番の一面積一四四二・四一平方メートルなる表示のもとに収用することとされた土地の範囲は、事業認定の告示の前後から裁決に至るまでの間を通じ、原告の所有する三六三七番の一の一部であることに関係者間で終始争いがなかつた区域にあたり、収用手続の過程において作成された土地調書添付の実測図を現地にあてはめることにより、その範囲を客観的に特定することができるものというべく、原告も、裁決書に記載された右土地が隣接地所有者との間で争いのなかつた特定の地域を示すものであり、これに対応する実測図も存在することは、原告自身関与した調査や審理の経過に徴し、明らかに知りえていたものと認められるのであつて、むしろ、裁決までは右土地の補償価額や爾余の係争部分の所有権に関する主張を強力に続けて来た原告が、裁決書のみによつては収用目的地の範囲が特定しているとはいい難いことを楯にとり、従来の主張とは前提において相反する感すら抱かせる本訴請求をするに至つたことの意図を、理解するに苦しまざるをえないところである。
以上の理由により、本件裁決の違法・無効をいう原告の主張は理由がなく、したがつて、これが無効であることを前提とする原告の本訴請求は失当として棄却を免かれない。
よつて、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 横山長 南新吾 竹田穣)
(別紙図面省略)